WEB制作に最初に入ったきっかけ

わたしが、山梨大学の土木環境学科を卒業後、2002年4月。

そもそも土木にも環境にも関心がなかった私は、就職もせずまた就職活動もせず、たまたま卒業論文で興味を持ったパソコンで簡単なホームページを作り、日々の痛い話を日記調に載せて、それを見てくれるモノ好きな方々とバーチャルな交流を楽しんでました。

その際、単にブログを制作するのも味気ないので、HTML言語を独学で調べて学んでおりました。

思い返すと、ここがWEB制作の出発点だったと思います。

ニート生活との決別

8月、さすがに家族の視線が痛くなったので、友人の誘いもあり、夏に軽井沢の蕎麦屋で住み込みのアルバイトを始め、期間にして1か月強でした。

そこの肉体労働を通して、久しぶりに充実した日々を体感することができました。

就労意欲が湧いてきた私は、帰宅後、新聞折り込みに入っていた派遣会社の求人広告に応募しました。

仕事内容は「ヤフーBB」の販促。量販店にて当時最速だった通信技術ADSLの加入促進をするスタッフ業務でした。

「ヤフーBB」といえば、駅改札口付近で赤い袋をさもプレゼント的に配る風体で申込用紙に名前を書かせる、あの悪名高きパラソル部隊を思い出します。

当時の私は、そんなことになるとは露知らず、時給の高さ(1,300円)と、幕張メッセで行われた孫正義の演説にすっかり酔いしれて、ソフトバンクの社員になれたらなぁ、と希望を抱きながら、やる気に溢れていました。

初めての社会人経験

10月の肌寒い季節に、某大手量販店・野田店に派遣社員として配属されました。

大学生時代、家電量販店での販促スタッフ(派遣)や、家庭教師のトライでの営業マンのアルバイト経験はあったものの、同僚が社会人経験をしている職場での仕事は、初めてです。

この量販店でのヤフーBBの評判はとても悪く、量販店の中でブースを置かせてもらうことができずに、店の外で販促することになりました。

しかし、やる気にあふれていた私は、スタッフ仲間に「暖かい店内で仕事ができるように、頑張っている姿を見てもらおう」という目標をたて、地元の店で来店するお客様に手当たり次第に、クレームが出ないように配慮しつつ、お声掛けしていきました。

1か月後、その甲斐があってか、入り口と店内の中間地点に移動する許可がおりました。

私たちは、これは店内に移れる日もそう遠くはない、と得られた評価に素直に喜び、また販促活動に精を出しました。

やる気を出したところで派遣打ち切り

ところがその3週間後、急にあと1週間で打ち切り、という通達を受けました。

理由は、「量販店とヤフーとの関係が悪化したため」とのことでした。

あっけなく、また元のニートに戻ることになりました。

再びニーと生活に戻り、稼げないホームページを更新しつつも、「やれるだけ頑張ったのだから、仕方ない…」と次の仕事を探そうと思っていた矢先。

派遣会社の人から、「いやー染谷君、あの時はごめんね。力になれなくて。本当に迷惑をかけた。お詫びといってはなんだけど、今度ヤフー販促部隊をさらに拡大する話が来ててさ、そこで君にスーパーバイザーをやって欲しいと思ってるんだ。染谷くんさえ良ければなんだけど。僕は、染谷くんが頑張っていたってことは、当時のスーパーバイザーから聞いて知ってるからさ。」

なんと、面接のときに一度会っただけの営業担当の方から、管理職として採用する電話がありました。

一度苦い思いをしている反面、まだソフトバンクへの未練があった私は、営業担当の方の口のうまさに感心しながら、その申し出を快諾しました。

こうして社会人になって3ヶ月目の若造は、千葉、埼玉、都内7店舗を担当する、スーパーバイザーとなりました。

ヤフーBBスーパーバイザーとしての職務

ヤフーBBからスーパーバイザーに任されていた仕事は、「スタッフ研修、教育、管理、そしてなにより担当店舗の獲得件数をあげること」でした。

またまたやる気に満ち溢れていた私は、大半が私より年上のスタッフに、とにかく数字をあげるためには何をしなくてはならないのか、仕事なのだからスタッフが販促を一生懸命やるのは当たり前だ、という若き考えのもと、体当たりで仕事に望みました。

その結果、社会人の先輩方から、「大学でたての社会人経験もない若造が、なにを言ってるんだ。だいいちスーツの着方もなってないじゃないか。」とひんしゅくを買ってしまいました。

「スーツの着方は仕事に関係ないじゃないか、問題はあなた方のやる気のなさだ」と内心憤慨していた私でしたが、派遣会社の担当者にたしなめられつつ、苦い経験を自分のものにしていきました。

2度目の転機

1年後、仕事に慣れてきた私は、さぼることを覚えました。

通勤もせず、ほとんど管理もされず、自宅から現場への直行直帰の毎日を通して、自分への言い訳がどんどんうまくなっていった気がします。

「ヤフーの体質が悪い。スタッフの性根が悪い。だから自分が頑張っても意味がないのだ。」という芽がすくすくと育ち、その頃には太い幹に育ってました。

出会いというのは、そんなときに訪れるのかもしれません。

というか、心のどこかで出会いを望んでいたのかもしれません。

初めて尊敬できるスーパー営業マン、いや社会人と出会えたのです。

自分より後からスーパーバイザーになったその人は、短期間で突出した数字を叩き出し、その上の役職であるエリアマネージャーに最短で昇格した人です。

過去に新規開拓営業、それも飛び込み営業で結果を出してきた彼は、「この仕事は大変だって?ナニ言ってるんだ、あんたらは。お客さんのほうから来てくれるんだぜ、こんなに楽な営業はない。というかこれは営業でもなんでもない。誰にでもできて当たり前の仕事だ。」と豪語し、私たちを圧倒しました。

さらに彼は、スーパーバイザーの中でも「あいつはダメだ」と評される人間を、「店舗からも感謝され、もちろんクレームは出さずに、継続的に数字を出すスーパーバイザー」に変身させました。それもたった3カ月で。

「あの人が!?どうやって!?なぜこんな短期間にここまでになれたんだ?」

まるで魔法のような魅力で私たちの前にさっそうと現れた彼に魅了された私は、「この人だ!やっとついて行きたいと思える人を見つけた。」と思いました。

出会いが私を変えた。

それからというもの、その神様のような人に、金魚のフンのようについて行きました。

3ヶ月後、神に認めてもらいたくて頑張った私は、結果を出せるようになりました。

しかし彼は、「俺をもっと必要としているところが、ある。」

と、あっさり辞めてしまいました。

なんとか留まってくれるようスーパーバイザー一同、彼に懇願しました。

スーパーバイザー一同:
「やる気を焚きつけられるだけ焚きつけといて、そりゃないよ、とっつぁん!」

スーパー営業マン:
「教えられことは全て教えた。あとはお前ら次第だ。」

結局、彼は去ったわけですが、そこで得られたものは非常に大きかったです。

「誰にも見てもらえなくても、認めてもらえなくても、やるだけやってみるんだ。いつか彼と再開したときに、胸を張って報告したい。そうゆう人間に、自分は、なろう。」と、「損得勘定で仕事をしない」ことを学びました。

営業マンとしてさらなる成長へ

その甲斐あってか、スーパーバイザーを初めて1年半で本部長から直々にご指名を頂き、「わが社へ来てくれないか?君に是非エリアマネージャーになってもらいたい」とお声掛けをして頂き、晴れてエリアマネージャーに昇格することができました。

入社後は北海道や北陸エリアを担当し、全国のエリアマネージャーの中で「達成率全国1位」を3回連続とることができ、大きな自信に繋がりました。

虚飾の結果、慢心とエゴ

しかし、慢心と大きすぎる自信を得た結果、「なぜこんなに頑張っている自分と、サボって結果を出さないあいつが同じ給料なんだ!」と、ソフトバンクへの不信が大きくなっていったのです。

今ならわかるのですが、その時の私は井の中の蛙。
全国一位という結果を出したといっても、ソフトバンクというブランド、企業としてのバックアップ、ヤフーBBという強力な商品、その他部署によるサポートなど、それらを周到に用意してもらった上での、言わば「誰でもやればできる環境」の上で成り立っていたものでした。
例えば、誰かに用意された後は稲を刈るだけの田んぼで、「一番稲を刈ったのは俺だぞー!」とはしゃいでいたわけです。

しかし、当時の私はそんなことに気付きもしません。

いつしか「ここじゃない、別の会社で自分を試したい…!」と思うようになってきました。

そんな中、私に多大な影響を与えた例のスーパー営業マンから声がかかったのです。

「実は今後、上場を控えている人材会社へ転職することが決まった。社員持ち株制度があるから、うまく行けば大儲けできるぞ!」

上場予定、しかし今は全く無名の人材紹介・人材派遣会社へ転職。

私は、腹を決めました。

この時、私は初めての「飛び込み営業」の世界に入ることになります。

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